この人は大丈夫、と信じる

【この人は大丈夫、と信じる】

春に超超超高齢の父の骨折をしました。

ウチは私を含め兄妹3人の仲がちょっと複雑で、
あるあたりから深く関わらないようにしてきましたが、とうとうそうも言っていられなくなり、、。

いつかこういう日が来るとは思っていたけれど、来ましたか。

私も「ああ、これは生きて行く中で乗り越えるべき山なんだ」と観念しまして、
兄、姉とメールで連絡をとりながら(←直に話すと痛い思いをするので笑)
今後の生活も含め、それぞれの意思を尊重しつつ、父が快適な方法は何かなど模索して数ヶ月。

父も無事退院し、杖は必要ながらも歩けるようになってきました。
いくら病院の方が良くして下さっても、
当然の事ながら長く住んだ自分の家が本人にとって1番心地良く、
動けるようになってくると本人も元気が戻ってきて、以前のように冗談を言ったり、依頼されていた原稿をチェックしたり。

先日は得意な語学の中でも「イタリア語は勉強して来なかったから、勉強してみようかな。すぐに習得出来ると思う。」と新しい事を始めようかという意欲が湧いてきたようです。
あー、良かった。やってやって!ぜひともどんどんやって!

私もちょこちょこ会いに行きますが、帰省するのは晴れた日と決めて、
リハビリも兼ねて一緒に散歩したり、少し遠くまでランチをしに行ったりしています。

父はあれこれお世話や心配されるのが嫌いな人なので、「放っとく」と「気に掛ける」のバランスが難しいんですけど。笑。
あちらも気の合う私といると楽しそうなので、仲良しの父とまた一緒に歩けて嬉しいです。

今回改めて思ったのは、
「心配」って優しさでもあるけれど、
別の側面から見たらその人の本来持つ力を過小評価している、というか見くびっていることにも繋がるのだな、と。

近しい人だと余計に、しかも高齢だったりしたらますます「心配」をしてしまいがちですけれど、
「この人の持つ力はまだまだこんなものではない、この人は大丈夫、乗り越えられる!」
と信じることは相手にとっての力になるのだと強く感じます。

相手のためというよりも自分が安心するために心配してるとこありますから。
(もちろんその人の性格や状況、場合によりけり。)

そして何より見えない力がいつもサポートしてくれているということも実感しています。

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